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2006年6月30日 (金)

1週間に1度のお店

昨日、唯一の宣伝カーは「廃品回収車」だと云った。が、もう一つあった。

Ts290011_1 こちらに来て間もないある朝、「佐渡おけさ」かなにかのにぎやかな歌を流しながら走る車にびっくりした。後で分かったのは柏崎からくる神戸屋商店の食料品販売車だ。

毎週木曜日朝、7時半頃歌を流しながら小谷をひと廻りし、国道近くの場所に停車する。元々が鮮魚店のようで、車の中に大きな冷凍庫と冷蔵庫があり、玉手箱のようにいろいろ入っている。

      

小谷には現在お店がない。だからみんな便利で利用している。

   

      

                

Ts290012_1ちなみに今朝私が買ったのは、ギンダラ10切れ入り、半分を大下さんにあげた)、ジャコ納豆スモモ、計¥2,280。チビ用のマグロの刺身は先週のがまだ冷凍してあるので買わなかった。

      

      

      

      

         

       

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2006年6月29日 (木)

所変われば品変わる

06291_3ここでは神保町や横浜でしょっちゅう聞こえてきた救急車やパトカーの音を聞くことはほとんどない。聞こえてくるのはすぐ上にある旧三省小学校のスピーカーから毎日午前11時半と午後5時に時を告げる音楽と、時々松之山支所の広報のアナウンスくらいだ。右翼の宣伝カーは皆無だ。

唯一の宣伝カーといえば廃品回収車の呼び声だ。スピーカーから流れる文句は「テレビ、冷蔵庫などの家電製品」ではない。

   

「不要になったトラクター、耕運機、草刈機などの回収車です」

   

というものだ。

0629月並みな表現だが「所変われば品変わる」である。

   

    

   

      

      

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写真:まだ活躍している耕運機(大・小)と草刈機

   

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2006年6月28日 (水)

小谷の今

梅雨になるといつまでも降り続くといわれていたが、空梅雨に近いお天気が続いている。

今年は豪雪で、雪解けが遅かったため田植えが遅れたようだ。田植えが終わったのが6月の初め頃。それから畑の野菜作りが始まった。ねぎが一番早かっただろうか。それからじゃがいも、きゅうり、なす、トマト、豆類など、さまざまだ。

つい先日植えたばかりのきゅうりや野沢菜などはあっという間に大きく育った。植え付けが遅くなった分を取り戻そうと苗ががんばったみたいだ。

今、いたるところで聞こえるのは、土手や周辺の草刈機のうなり声。

たっぷりと雨が降り、その後の夏の太陽で、美味しい魚沼こしひかりがとれるはずだ。

そう云えば、いつの間にか夜ストーブをつけなくなっていた。

写真:下の大下さんの初物きゅうりと隣の宮坂さんの春菊。上屋敷のなすはなぜかちっとも大きくならない。手前はピーマン。

   

   

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2006年6月27日 (火)

続報

写真のごとくチビは今日一日眠りほうけていた。

よほど緊張の時を過  ごしていたのだろう。

幸い今日は私が家で仕事をしていたので、

安心もしたのだろう。

外に出ようともしなかった。

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一日こんなに寝られるなんて、羨ましい。

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続報のもうひとつは、ツバメ。

土間に巣を作ったつがいが卵を抱き始めたのは

多分3週間くらい前だったと思う。

それがまだ続けている。

でもヒナが孵った兆しはない。

そんなに時間がかかるものか。

それとも以前追い出したため、

大事なときに抱けずに卵が死んでしまったのだろうか。

そうだとしたら罪深いことをした。

それにしても辛抱強い親ツバメだ。

写真は土間が暗すぎて撮れない。   

   

   

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2006年6月26日 (月)

泣き笑い

チビが帰ってきた。36時間ぶりで。しかも無傷で。

Ts290023昨日の11時ごろから出て行ったまま、仕事から帰った7時にはいなかった。そのうち帰ってくるだろうと思っていたが、夕べは帰ってこなかった。初めてのことだ。

朝から大きな声で「チビー、チビー」と呼びながら、あちこちを探した。切通のおばさんも一緒に探してくれた。

       

               

                  

1月前にはのらねこにお尻を咬まれたことがある。のらさんがうろうろしていることは聞いていた。さまざまなことを想像した。最近ヒメばかり構っているので、家出をし、どこか他にいいお家を見つけたとか。でもこの近くには行けるうちはない。草むらで帰ってこられないほど傷ついて横たわっている。あるいは...などなど。

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今から1時間前にはもうほとんど諦めていた。これから先チビなしでどうしようか。仕事の本番を乗り切れるだろうかとか。

今、私は泣き笑いをしている。帰ってきたのだ。お腹を空かして。どこでどうしていたかは語ってくれない。でも帰ってきてくれたことだけで嬉しい。

    

         

                  

                  

                           

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2006年6月25日 (日)

ガス欠

今朝コーヒーを入れようとして、コンロをひねったら火がつかない。

上屋敷の台所の燃料はプロパンガスだ。家主の方が置いていかれたものをそのまま使わしてもらっていた。大きなボンベなので気がつかなかったが、ガスが無くなったようだ。

いつものように問題が発生すると相談するのが市会議員の相沢正平さん。連絡先を教えてくださったので、すぐ燃料センターに電話した。

地元の家庭なら燃料センターと直結しているメートル付のボンベを貸し出しており、ガスが少なくなると感知するようになっていて、突然消えるということはないという。

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本来なら私のような場合は買い取らなければいけないらしいが、便宜を図って貸し出してくれ た。今までのは20キロあったのが、今度は8キロとかわいいボンベになった。

お昼過ぎにやっとコーヒーが飲めるようになった。

   

      

      

    

      

    

   

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2006年6月24日 (土)

あと一月

622日夜、まつだい「農舞台」(芸術祭の現地事務所もある)で「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2006」に向けた現地集会が開かれた(東京集会は623日)。いよいよ会期まで一月。総合ディレクターの北川フラム氏が今までの経過、成果などスライドで作品を紹介しながら説明をし、集まった各地域の関係者などに最後の協力、協働を呼びかけた。

こちらに来て6週間近くなるが、小谷と鉢以外ほとんど知らず、過去2回の作品もほとんど見ていなかったので、あらためてこの芸術祭の量・質ともの大きさに圧倒される思いがした。なにかが動いているという感じだろうか。

それにしてもフラムさんの疲れているような様子が、ますます気になる。

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芸術祭関係で撮った写真はビビアンのものを除いては、農舞台の後ろの棚田に設置されている ロシアの作家イリア&エミリア・カバコフの有名な「棚田」だけだ。しかも撮ったのは4月15日というのに雪の中から姿を見せているものだ。

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2006年6月23日 (金)

芽が出た

朝顔とヒマワリの芽が出た。元気な芽だ。日に日に大きくなっている。

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松葉ボタンの種も蒔いた。あとコスモスの種をどうしようか考え中。

草取りをした後の前庭を畝って(うなってと発音)もらった。今回は家の下の大下のおじさんに。

いかにも暇そうに聞こえるでしょうが、実際はガイドブックの翻訳で大忙しのはずなんです。 

 

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2006年6月22日 (木)

ちょっぴり花屋敷

06201 嵐が吹く前に何とか花屋敷を目指してもう片側の前庭の草取りに励んだ。朝起きると腰は痛く、指はごわごわ。

    

     

 

   

                    

06202 通る人はみな、きれいになったねと褒めてくれる。

   

   

   

    

   

 

06203_1今ヒマワリと朝顔の種を育てている。花屋敷の夢はふくらむ。  

  

    

     

        

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2006年6月21日 (水)

嵐の気配

この小谷に私が住むようになったのは、田舎の生活を楽しむためだけではない。それは大きなおまけだ。本来の目的は「大地の芸術祭-越後・妻有トリエンナーレ2006」に現地ボランティアとして参加するためだ(芸術祭についてはHPに詳しくあるので見てください)。

今年で3回目となるこのプロジェクトは、妻有全域を美術館として国内外の200組以上のアーティストが参加する大規模なものだ。その準備・制作・実行に際しては、地元住民の協力はもとより、都会の若者ボランティア(こへび)の働きなくしては実現できない。

Dscn0367 廃校になった小谷の旧三省小学校が期間中こへびの宿舎のひとつに予定されている。やっと改修工事が始まり、今朝は早くから廃材の運び出し作業に何人かのこへびが働いていた。

なお、会期中の私の役割はこの宿舎の「舎監」といわれている。実際になにをすべきかは分からないが、若者のおばあちゃんとしてニコニコしていればいいかなと考えている。

その他にもガイドブックの翻訳や、ビビアン以外の海外作家の通訳など、これから嵐が吹きそうだ。

みなさん、芸術祭には来てください。

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2006年6月20日 (火)

上屋敷の先住民

0620_2上屋敷には扶養家族とはいえないが、まだ紹介していない「住民」がいる。しかも先住民。コイだ。

庭には大きな池がある。3月に来たときは大雪に覆われており、ここに池があるといわれても分からなかった。5月に来て初めて池を見た。そしてそこで泳いでいる大きなコイも。30センチ位の大きさで、20匹はいると思う。あの雪の中をどのようにして生きていたのだろう。

0620_3池の横にある水槽にはカエルもいる。ずいぶん大きくなった。夜も元気に鳴いている。

カエル見えますか。マウスをクリックすると大きくなります。

      

      

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2006年6月19日 (月)

小谷白山神社と老人会

昨日は老人会による神社の清掃が行われた。この神社の歴史は古く1534年となっている。現在の社は1887年(明治20年)に再建され、1992年には「遷宮百年祭記念誌」という小谷集落の歴史を細かく記した立派な記録を出版している。

朝降った雨が上がり、1時半には30人ほどの人が集まり作業開始。冬の間に落ちた木の枝や葉を集め、伸びだした雑草を草刈機や鎌でとる。トラックで運び出す。3時にはきれいになって終了。

その後小谷集会所に場を移し、ごくろうさん会。仕出弁当に手作りのゼンマイやウドの料理で歓談。私は自己紹介を求められ、「見えない赤い糸」の話をした。「ずっといなさるんよね」と云われ、言葉に詰まった。

久しぶりの飲み会ですっかり酔っ払い、帰りにはカメラを落とし壊してしまった。これから写真をどうしよう。 

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みんなの写真の中に、ご機嫌のやまうばもいます。   

 

 

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2006年6月18日 (日)

見えない赤い糸(小谷と順子)

ちょっとおどろおどろしい話に聞こえるかも知れないが、私と小谷は見えない赤い糸で結ばれているのではないかと思われる経験をした。

3月の末、親戚の結婚式があり、その後の手作りのささやかなパーティの席でのことである。いとこたちも出席し、一緒のテーブルで歓談していた。話が私の新潟行きのことになり、説明をしていたら、たまたま隣の席におられた女の方が「新潟のどこに行くのか」と尋ねられた。十日町のほうというと「十日町のどこ」と聞かれ、松之山小谷というところといったら、なんとその方は小谷出身、しかも「大地の芸術祭」会期中こへび(若者ボランティア)の宿舎となり、私の働き場ともなる旧三省小学校の卒業生だと言われるではないか。私の上屋敷に住むことについて何かとお世話になっている市会議員の相沢正平さんの一級下だそうだ。

こんな偶然ってあるだろうか。新潟だって広い地域だ。それがよりによって小さな集落の小谷とは。その日は一日中狐につままれたような気がした。お兄さんの相沢亨(日の出屋)さんは今でも小谷に住んでおられて、先日はお茶をご馳走になった。その方の名前は松本敏子さん。

もうひとつ偶然といえば、来る前に治療してきた歯が痛み、東京で長年お世話になっているASAデンタルクリニックの朝田先生に電話し、薬を送っていただいた。私の住所を見て、先生の友人が松之山で開業しておられ、10年前に訪ねたことがあるという。ヒメと買い物に行くところだ。今度お世話になるかもしれない。

今後この赤い糸はどうつながっていくのだろうか。

      

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写真:1973年頃の小谷全景と幸せの四葉のクローバー

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2006年6月17日 (土)

トイレの話

びろうな話で恐縮です。

ヒト:小谷ではほとんどがまだ汲み取り式のトイレだ。上屋敷は便器は洋式になっている。そのため今でも用足し後フラッシュしようとレバーを探すことがある。先日は清掃をしている最中にブラシを落としてしまった。この消臭剤と混じった独特のにおいにも慣れ、多分懐かしいものになるだろう。

チビ:横浜にいるときはほとんど外で、庭がトイレだった。こちらに来て外に出せないときのことを考えて、ネコ用のトイレを持ってきた。2日くらい入らなかったが、その後使いだし、今はもっぱら専用トイレで用を足しているようだ。ネコトイレの掃除は19歳半で死んだチビラの時以来で、チビラを思い出す。

ヒメ:岩波書店あるいは書泉のビニールの袋が手ごろで、その中に新聞の広告チラシを入れて散歩に出かけ、もよおしている様子を見せるとチラシをさっと下に置き、始末していた。ここでも最初はそうしていたが、今は道端のふきの葉っぱなどをとって、用足し後草むらに放ることで事足りる。ただ、最近は道普請などで道路脇の草が刈られ、葉っぱがないことがある。でもなんとでもなる。

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写真:ヒメのトイレ道具(フキの葉)ときれいな花でにおい消し

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2006年6月16日 (金)

季節は変わる

新潟を含む北陸地方が梅雨入りした。全国で一番最後だ。これから長い雨の日が続くといわれている。でも作物にとって必要な雨だ。そして蒸し暑い夏がくる。

一ヶ月前にきたときはまだあちこちに雪が残り、淡い緑に山がけむっていた。雪はほとんどなくなり、緑は濃くなり、田植えは終わり、野菜の作付けが盛んに行われている。

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上屋敷から撮った写真:左518日撮影、右616日撮影

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2006年6月15日 (木)

ビビアンと鉢-3:瞽女(ごぜ)さん

Dscn0305_1 また知らないことを教わった。無知をさらすようだが、ビビアンのモデルのひとり、尾身文子さんから瞽女(ごぜ)さんのことを初めて聞いた。目の見えない女性たちが三味線を抱え、ほとんど一年中村から村へと旅をしながら歌を歌ってお米やお金をもらって生活していたそうだ。新潟がごぜさんたちの中心地で、日本の民謡の多くは彼女たちによって広がったという。鉢には民謡の会があり、文子さんは三味線を弾く会の重要なメンバーだ。彼女は鉢で美容院を開業、夫の誠司さんは元消防士、現在はNPOぼうさいの理事をしている。ふたりとも50代後半、地域の中堅住民のようだ。

Dscn0329_1 小谷でもそうだが、区長さんがコミュニティの世話役的存在だ。持ち回りというが、今まではすべて男性だった。ビビアンと私は文子さんが初の女性区長さんになる日は遠くないだろうと話している。

「若さと美しさの秘訣は」というビビアンの問いに対し、「人と出会う機会が多い、それに誠司さんがいつも<きれいだね、きれいだね>と云ってくれるから」とさらっと答えた。

写真:絽の着物をしゃきっと着こなす文子さん(絵は未完成)と80歳のていさんを囲んで

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2006年6月14日 (水)

ビビアンと鉢-2:十日町と着物

今日は十日町にある「とうや」という越後友禅の絞り染め工房の見学に行った。ビビアンの肖像画の次のモデルさんがそこで働いているので参考にするためだ。仕上がるまでに24の工程があり、すべてが手作りという着物は振袖で100万円もするというが、その作業の細かさからいって当然かという気がした。着物に縁のない私にとってもとても面白かったが、知識がないので通訳は大変だった。

十日町が着物造りで有名ということは、鉢でのビビアンとの仕事で知ったことだ。また肖像画のモデルになった年配の女性の方々の話では、ほとんどの人が尋常(高等)小学校をでると、機織をしたり、遠くの織物工場に働きに行ったという。鉢では養蚕も盛んであったようだ。歴史の勉強をさせてもらっている。

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この写真は「とうや」の翠山工房のホームページから。

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2006年6月13日 (火)

800本のサルビア

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740分「行かんかね」と声がかかる。箱屋と切通のおばさんだ。今日は国道沿いに花の苗を植える日だ。

合計27人(プラス1匹)が集合。800本のサルビアの苗を植えた。夏には真っ赤な花が車で通る人々の目を和ませるだろう。

      

      

     

0613_4 次は618日、小谷白山神社の清掃だ。終了後の寄り合い(ご苦労さん会)にも誘われた。ここではまだ地域の共同性(協働)が残っている、というかそのようにして過疎の村を守っているのだ。

写真:きれいに植えられたサルビアの苗と作業の説明を一緒に聞くヒメ

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2006年6月12日 (月)

順子の一日

一度行きたいと思っていた大荒戸にいくことにした。小谷の向かい側にある集落で、そこから小谷を見てみたいと思っていた。

谷合を下る道にはウツギが花盛りだ。あ、聞こえた。「キョロ、キョロ、キョーロロロロ」アカショービンだ。すかさずウグイスが負けじと「ケキョ、ケキョ」鳴いている。

30分ほどで大荒戸に着くが、小谷はまだ見えない。県道をはずれて作業道に入る。やっと見えた。小谷はなんと長閑なたたずまいだろう。その後ろにまだ雪が残っている高い山がある(名前は後から調べる)。

そのまま下に抜けられるかと思って先に先に行ったが、道が途切れていた。同じ道を戻る。たっぷり2時間の散歩だった。

1時半から地域で床下の消毒に来るから窓を閉めるように云われる。その間ヒメを洗う。洗濯をしかけたら、脱水機が動かなくなる。よく見ると製造年:1978年とある。寿命なんだろう。村上商店に電話するとすぐ届けるとのこと。また予定外の出費だが仕方がない。

もう片側の前庭の草取り、8分終わる。

順子の仕合せな1日でした。

写真はウツギの花と大荒戸からみた小谷の集落

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ヒメの一日

アタシにお家ができた。お隣の中島さんのおじさんが下さった。以前飼っていたタロウくんのお下がりだが大きくて落ち着く。

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今日の散歩は大荒戸。初めていくところだ。県道をはずれた作業道に入って、放してもらった。自由に駆け回る。田圃の畦の周りを走って足をすべらせ、何度か田圃に落ちる。ドロドロになるが、でも楽しい。

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帰ってからお風呂だ。ここに来て初めてだ。ちょっとイヤだけど、我慢する。乾くまでお家の中にいられる。チビはアタシが怖いのか逃げていった。

夕方、切通のオバチャンがきて、おやつをたくさんくれた。その後オジチャンもきて、ちょっとだけど散歩に連れてってくれた。

イヌの友達がいないのは淋しいけど、小谷に来て仕合せだと思う。

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2006年6月11日 (日)

子どもたちの声

今朝散歩で水梨方面を歩いていたら、子どもたちの声が聞こえた。この地域で子どもの声を聞くことはほとんどない。声を辿って行くと、道筋の大きな家の庭に小さな子どもたちが10人ほどいた。

府中の保育園の年長さんたち(5-6歳)で、毎年田植えと稲刈りの時期に2回、1週間泊まりに来るのだという。今回は20人ほどだという。

「アッ、イヌだ!」とみんな寄ってきた。ヒメは子どもが好きで、みんなから撫で撫でされて嬉しそうだった。

この1週間の体験はこの子たちの心にどのように残るだろうか。

さよならをいって帰ろうとしたら、「おばあちゃん、おじいちゃんはお家にいるの?」と聞かれた。あぁそうだ。「おばちゃん」でなく「おばあちゃん」だったんだ。

今日の花。散歩中に咲いていたもの(名前不明)と、庭で初めて咲いたアヤメ。

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2006年6月10日 (土)

米原真里

昨日は朝から雨だった。ここに来て本格的な雨が降ったのは初めてだ。小谷の田圃は雨水に頼る天水田圃で、植え付けが終わったばかりの稲と農家にとってこの雨は恵みの雨だった。

3時ごろ雨が上がり、ヒメを連れて松之山に買物に出かけた。郵便局、JAコープなど買物ができる一番近いところだ。歩いて35-40分。いい散歩になる。

目的のひとつは小さな文房具屋で週刊文春を買うこと。木曜日の新聞に文春の広告があり、5月末に亡くなった米原真里「がん闘病最後の一ヶ月」が載っているはずだった。

米原真里はロシヤ語同時通訳者の草分けで、後に作家、エッセイストとしてヒトのオスは飼わないの』『オリガ・モリソヴナの反語法』など多くの著作を出している。彼女のウイットに富んだ文章が好きで、週刊文春の「私の読書日記」に交替で執筆、欠かさず読んでいた。ガンに罹り、この間ずっとガン治療に関する本をご自分の体験に合わせて取り上げていた。でもこんなに早く亡くなるとは。訃報に接してとてもショックだった。56歳、早すぎる。ご冥福を祈るのみ。

さて、買物の話の落ちは、1冊だけあった雑誌を手に取り、なんの疑いもなく購入した。家に帰って早速目次を見る。出ていない。なんと先週号であった。この辺の小さな店には発売日の翌日になっても最新号は届いていないのだ。また来週行くことにする。

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3連休で頭が、、、

元来怠け者の私にはサンデー毎日の生活がぴったりで、それに慣れたところに本来の目的のボランティアの仕事が始まりました。

ビビアンとの仕事は楽しく、鉢の集落の人たちとの出会いも面白く、勉強になっています。でも昨日から3日間ビビアン一家が金沢に出かけ、3連休となりました。途端に緊張がとけ、頭が空白になり、ものを書くとき言葉を失うという持病がでました。ブログのお休みごめんなさい。

これで芸術祭が本番になったらどうなるか、ちょっと心配になりました。

写真はつんつん伸びるツクシンボウとカタクリの花(518日)

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2006年6月 7日 (水)

山菜

妻有は山菜の宝庫だ。雪解けの5月初めからフキノトウに始まり、コゴミ、ワラビ、ウド、木の芽(アケビの芽)、ゼンマイなどなど、名前を知らないものまで数多い。土地のひとはいつごろ、どこに、なにがあるか熟知している。

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食べ方もいろいろあるようだが、悲しいかな私はおおかたさっと茹でて、おひたしにして食べるばかりだ。それでもおいしい。あくの強いものが多く、あく抜きが必要だ。最初ワラビをいろりの灰に釘を入れて茹でるといいと云われて試したが、ゆすぎが足りず灰が残りじゃりじゃりし、失敗した。今は市販のあく抜きパウダーを使っている。

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長い冬を過ごさなければならない土地の人は、ワラビ、ゼンマイなどをせっせと採り、干して保存食にしている。   

  

  

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国道沿いに「小谷後継者の会」の無人山菜・野菜市があり、山菜が多くならんでいたが、そろそろ山菜の季節も終わりのようだ。これからどんな野菜がならぶのか楽しみだ。

  

  

  

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2006年6月 6日 (火)

ビビアンと鉢-1

1 サンデー毎日のようなゆったりした生活に一週間前から動きが出始めた。カナダからの作家さん(大地の芸術祭ではアーティストをこのように呼んでいる)の通訳の仕事だ。

ビビアン(Vivian Reiss)という女性が、鉢という集落で地域の人たちの肖像画(油彩)を中心に鉢を表現するプロジェクトに取り掛かっている。

鉢は名の通り、山間の谷合にある集落で、携帯も通じないところだが、集落としては大きく100世帯くらい住んでいるという。1軒を除いてみな「尾身-オミ」姓だ。

ビビアンは夫、息子(近々娘も)と一緒に来日、鉢にある教員住宅に8月の半ばまで滞在する予定でいる。

彼女の作品はモデルと話をしながら、その人の印象をつかみ、デッサンし、そのあと色をつけていくものだ。

2 写真は第一作で、正さん(鉢の前区長さんで振袖や内掛けなどの着物作家)。作品に対しての正さんのコメント:「女房には見せられないな」

車のない私のためにビビアン夫婦が送り迎えしてくれる。ヒメも一緒の同伴出勤だ。

追伸:ツバメ続報:ついに今日卵を抱き始めた。もう追い出せない。

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2006年6月 5日 (月)

老人会の仲間入り

8時過ぎにヒメの散歩に出た。国道(353)に下りた途端、大勢の人がいる。小谷老人会の人たちで、国道沿いの道に花を植える作業をしているという。切通のご夫婦もいるし、箱屋のおばちゃんもいる。

0605 早速家に戻り、鎌、手袋などを持って参加する。草刈はほとんど終わっており、あとは土つくりで私の出番はあまりない。でも、マルチ(mulch)かけをするなど、これからする家の庭造りの参考になる《辞書によればマルチとは土壌水分の蒸発防止・霜害防止・雑草の抑制などのために根元の地面に広げるわら・木の葉・泥などの混合物[腐葉土]》。

0605_1 次回は6138時から、花の苗を植える。「13日の朝8時だよ。寝てたらたたき起こすからね、ハハハ」と箱屋のおばちゃん。私の寝坊は知れているようだ。

この間ヒメは傍でおとなしく待っている。ヒメも村の顔になりつつあるようだ。

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2006年6月 4日 (日)

ツバメとヘビ

ここでは初めてのことでびっくりすることがいろいろある。

ある日外から帰ってきたら、家の中を鳥が飛び交っていた。驚いてご近所で聞いたら、この時期はツバメの巣造りの時期で、だから窓は開けておかないという。なぜかというとヒナを食べにヘビが家の中に入ってくるからだと。私はチビが食べないかと心配したのだが。

Dscn0245いつの間にか土間に巣ができていた。ヒメが玄関と土間にいるために戸を開けておくからだろう。でもなるべく追い出すようにしているので、このつがいツバメは気の毒だ。巣造りに専念できないからだ。良心がとがめる。

どこから入ってくるのか分からないが、今朝も起きたら居間で二羽が舞っていた。

Dscn0246 静かな小谷では音といえば、ツバメのさえずり、ウグイスの鳴き声、それにカエルの合唱だ。もう少しすると「キョロロ」と鳴くアカショウビンの声が聞こえてくるだろう(「大地の芸術祭」のプロジェクトのひとつ「森の学校:キョロロ」はこの渡り鳥の声にちなんでつけられた)。

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2006年6月 3日 (土)

上屋敷 → 花屋敷?

リングァ・ギルドを離れて妻有に来ることを決めたとき、約束したことがある。それはHPに「妻有花便り」を書くことだった。豪雪の後花でいっぱいの春の妻有を想像し、家の前も花を植えることを考えていたからだ。

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住み始めて1週間もっぱら家の中の整備で過ごした後、前庭の草取りを開始。これまで長い間あまり手入れをしていなかったようで、ふき、どくだみ、すぎななど根のはる地下茎の草がはびこり、草取り鎌で根こそぎ取る作業は根気がいった。途中で鎌を握る右親指のつけ根が腱鞘炎になり、めげそうになった。でもご近所の宮坂、箱屋、切通のおばちゃんなどは、都会から来た得体の知れない若くない女がどれだけできるかを、好奇心と同情の目で見ている。止めるわけにはいかない。

草取りはほとんど終わったが、その後にシャベルで土ならしと肥料を入れての土つくりの作業がある。周辺では田植えはほとんど終わり、野菜作りがどんどん始まっている。焦る。

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そんな時、救いの神が現れた。今まで会ったことのないおじさんが家の前を通りかかり、私の苦労を見た。しばらくしてまた現れた。いろんな肥料とナスの苗、それに小型の耕運機を軽トラックに乗せて。あっという間だった。「畝って」くれた。小谷のはずれに住んでいる孫甚さんだ。普段あまり笑わない隣の宮坂のおばさんが「いい人見つけたね」とにやっと笑った。

上屋敷が花屋敷にちょっと近づいた。

最初の写真は草取りを始めたばかりのもの。

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2006年6月 2日 (金)

扶養家族-2

  Dscn0185_4                            

  ヒメがここで一番好きなのが、一軒先の切通のおばちゃんだ。放すとまっしぐらに駆けていく。そしておやつを頂く。

  後ろに見えるのが旧三省小学校(廃校)で、後で詳しく説明するが「大地の芸術祭:越後・妻有アートトリエンナーレ2006」(7月23日~9月10日)の会期中、若いボランティアの宿舎となり、私の働き場となるところだ。 

   

   

   

   

   

    

    

 

Dscn0176   ハンター、チビ。
 
怪我は治りつつあるが、
 
一日中ほとんど寝ており、
  今はこの元気はない。

  自分から外にでることも
 
しない。
  よほど怖かったのだろう。

 

         

          

                     

                           

   

      

      

      

      

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2006年6月 1日 (木)

扶養家族

(晴れ)

ひとりものの私でも扶養 家族がいる。ヒメ(イヌ)とチビ(ネコ)。ふたり(2匹)とも名前は体を示さない。

ヒメは甘えん坊の淋しがりや。この辺りには犬がほとんどいない。いても犬の社会性に乏しく、友達にはなってもらえない。人通りもほとんどないことから、イヌ・ヒト恋しくて、ますます甘えん坊になっている。雷と花火が怖い。ここに来て仕合せと思っているかどうか不明。

猫は変化に弱い動物と理解し、また横浜の家の周辺以外をまったく知らなかったので、チビが新しい環境になじむかどうか心配したが、それは杞憂にすぎなかった。さすが猫で、すでにネズミを4匹も捕まえてきた(そのうち2匹は食べた!)。でも敵もいる。昨夜何者かに追われて、池か田んぼに落ち、どろどろの惨めな姿になってしょんぼり帰ってきた。お尻を2ヶ所咬まれ、早速獣医さんの世話になった。当分外には出してもらえない。

手がかかるふたりだが、私にとっては大事な家族だ。  

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